无伝は誰のための物語だったのか

无伝の千秋楽が無事に終わったので、ちょっと色々解禁したかな?という感じで思ったことを書きます。
感想でも考察でもお気持ち表明でもありませんが、お付き合いいただける方いたらどうぞ。

私は5月の配信を買って観たんですが最初に観た感想が「えっ?」でした。
割と真田十勇士に重きを置いていたので、刀剣男士が活躍するのを観たい人にはちょっと物足りないかな?って印象です。
別に真田十勇士が嫌いな訳でも、オリジナルキャラクターが云々でもなく、天伝が割とストレートに刀剣男士と元主の素直な話だったので、无伝は補完する話になると思っていました。

個人的に无伝は大好きですが、人を選ぶなぁって感想です。そこで私は「どうしてこういう話になったのか?」を無い頭で考えました。
「この物語は誰のための物語だったのか?」というのが私の中でかなり大きな疑問だったのです。

三日月宗近の物語なのか?高台院の物語なのか?それとも如水なのか、秀頼なのか?
真っ先にこの物語は「真田十勇士が大きな割合を占めるが、真田十勇士のための物語では無い」という結論は出ました。
この无伝の食感と口当たりに心当たりがあったのです。
別の話ですがFGOの二章四部インド異聞帯ユガクシュートラというシナリオが有るんですが、最近のキャンペーンで3月か4月頃にクリアしました。
このインド異聞帯、まぁゲームやってる人割と居るので出したんですがこれも「誰のための物語なのか?」という疑問を抱いたシナリオでした。
ちなみに異聞帯というのは「正史の歴史において、誤った進化を選んで完成した世界」です、つまりは刀剣乱舞における、歴史改変が進んだ放棄された世界に似ています。
FGOでは特殊な状況において、世界の異物として書かれますがこの刀剣乱舞というか舞台刀剣乱舞の世界観においては揺るぎない正史があり、その正史と並行するように放棄された世界がある。という状況だとざっくり理解してます。
つまり、舞台刀剣乱舞の正史の自浄作用が優れていれば正史に取り込まれて無かったことになる世界だと解釈すると、歴史改変が起こっても割と問題はないのだろうと思うのですが、もしも歴史改変が進んだ世界のまま、世界が完成してしまった場合、正史になんらかの影響が出る可能性がありそれを時の政府は懸念していると、維伝で南海先生が言ってたのをふと思い出しました。

そこから思ったのは「この无伝という物語は、舞台刀剣乱舞という世界のための物語だったのではないか?」という結論です。

放棄された世界、改変された歴史というものがどんなものなのか我々には想像出来ませんが、舞台刀剣乱舞でしめされた改変された歴史には、真田丸と名前のついた巨大な街に暮らす民と刀剣男士と遜色無い力と物語を持つ真田十勇士、つまり改変された歴史における刀剣男士こそが真田十勇士であり、その刀剣男士が歴史を守れなかった話こそがこの无伝の話だったのではないか?
ある一つの本丸が歴史を守れなかった話を書いたと考えると結構、腑に落ちました。
私はね。
つまり、无伝における異物こそが正規の刀剣男士であり、その中に我らが結の目、三日月宗近がいる訳です。その改変された歴史の中でしか、高台院様に会えなかったのがまたなんやろなぁって草原に寝転ぶ気持ちでござる。