献上記念日だし、鶴丸国永の話をしよう

令和になって、また鶴丸国永献上記念日がやってきました。なんの御祝いも出来なかったんですが、最近、素人考えで考察した個人的な鶴丸国永論を気持ち悪く語っていこうと思います。

結果から言うと「鶴丸国永の驚きを求める側面とは、神話の豊穣神の二面性に近いのではないか説」です。

鶴丸国永って割と真面目な気質な刀であるんですよね、でも軽妙でお祭りや驚きという心がわくわくすることが好きな、でも戦いを忘れない、極みの手紙の中には鶴丸国永が「何故自己が驚きを求めるのか」という考察をするんですけど(修行行かせてない審神者さんすいません)この驚きを考察する鶴丸国永が松を象った衣装で来るというのも繁栄を意味する植物=豊穣を祈っているという事だと考えると、鶴丸国永の二面性は豊穣の神の二面性に近しいのかな?と……。

有名どころだとギリシャ神話のハデス、そして日本神話だとイザナミノミコトなどは冥府と豊穣どちらも持ってる属性の神様です。
後はイシュタル、この神様も豊穣の神様ですが割と気性が荒く、兄弟に冥界を司るエレキシュガルという神様がいます。
つまり、作物を育て豊かな土地になることと、その土地が作物を作らず土壌を休ませることは昔から同じものとされていることが多く、墓入りをして人々の死や滅びを見守った鶴丸国永にも同じ現象が起きてたら面白いなぁと、それが驚きなんじゃないかな?と驚きって色々ありますが滅びを見守る老成した人を突き放す死(老人)の部分と、心が躍るような勝負や楽しみを得る驚きという生(若者)の部分で鶴丸国永は構成されているのかな?と、どちらも知るということはあの刀は豊饒を司どると言っても過言じゃないかもしれない……。

みっちゃんや桑名くんからは大好評そう……。もしかして、みっちゃんが色んなメディアミックスで鶴さんに懐いてるのそこなのだろうか、みっちゃんはどちらかというと「命あるものを育てる、守る」という側面が強い刀だと思うんですよね。
これは伊達の刀には誰にも言えることで、極めてから顕著に伽羅ちゃんは統率に振って来てますし、貞ちゃんは太陽の鎧の格好をして帰ってくるので彼らは「豊饒を維持し、守り、鼓舞する」事が元来上手いのかもしれない、何かを守る為に戦える刀なのかな?と、そうすると豊饒と飢餓を繰り返す鶴さんの側にいる存在としては適任なんだよなぁと思った次第。