刀剣乱舞と荒御魂と和御魂

図録4が届きました(襖パァン!)

実休光忠も手に入れました!(なんと今回はノー課金!)(いつも十倍枡買ってた)

ということで、この二つの要素から刀剣乱舞における荒御魂と和御魂の話をしようかなと久しぶりにブログにしました。

 

なんでかというと図録4で一文字則宗さんの設定画が観れるのですが(全世界の絵師の先生の皆さん、ありがとうございます。ガチで末永く健康で居て下さい)この荒御魂と和御魂の考察に則宗さんの設定画について触れるのでネタバレが嫌な方とまだ図録買ってねえ!の人はこのままブログを見なかったことにして貰えると助かります。

 

 

ということで荒御魂と和御魂についてですが、最近のゲームでも採用されてるので知ってる人が多いのとウィキペディアやブルーアーカイブFGOを履修、考察してる人よろしくな!というとこで此処ではかなりざっくりと言うと、そもそも神様って人間と一緒で「短所」「長所」があって、荒御魂は短所、和御魂は長所と思ってください。すごい荒っぽい説明なので、アレですが、これには特別な理由があって神様は元々が自然であることが多いです。

夏なので雨を考えると、雨が降ることについては長所があります、水は命あるものは全て必要です。人間、動物、植物、全部が水が必要なのですが過剰に降れば洪水や浸水、ダムの決壊を引き起こし、災害を齎す、これは短所です。

なので神様は荒々しい一面と穏やかな一面があるという風によく考えられていますし、日本は無宗教とも言いますが自然を信仰対象にしています。

自然を擬人化した神は特に荒々しい性格な事が多いです。ここで刀剣男士に当てはめて行きます、唐突ですが公式から被災されたと思われる刀剣男士をざっくり挙げていきます。

一期一振、実休光忠、燭台切光忠、宗三左文字、鯰尾藤四郎、骨喰藤四郎、御手杵

ここまで挙げると、攻撃的というか好戦的な性格の刀剣男士が居ないと思われます。

宗三左文字って好戦的じゃん!と思われる方も居られると思いますが彼を近侍にすると解るんですけど(なんとなく私は彼を近侍にしてたので知ってたんですけど)これは左文字兄弟全体がそうなので宗三左文字が目立たないだけで宗三左文字は心を病んでるんですよね。

江雪左文字、小夜左文字の場合の病みは「自己の器(刀としての自意識)と物語の大きさの剥離」つまり江雪左文字は和睦という平和を願いながら自分は刀としての最高傑作という自己矛盾を抱えながら生まれ、小夜左文字は復讐は果たされた筈なのに、再び復讐を自己が望むという自己矛盾を抱えながら誕生していると思います。

宗三左文字は常に悲しげに自分は籠の鳥と称しますけど、本当は魔王信長が今川義元から奪った戦利品であり、天下人を渡った刀なので物語の大きさについては矛盾は無く、じゃあ病み要素は何よと言われたら本能寺で焼けたことでしょうな!となる。

多分ですけど宗三左文字の素って江雪さんや小夜ちゃんや太閤くんと一緒に居る時だと思うんですよね、基本的に面倒見が良いお兄ちゃんというのが宗三左文字にとっての和御魂であり、焼けた宗三左文字は荒御魂になってると思います。

 

2回焼けた実休光忠は、現在、和御魂モード進行で一期一振も和御魂モードだと思います。

おそらくこの二振りは元々は武人ぽい同田貫くんとか長谷部くんとか蜻蛉切さんとか日本号さんとかああいう感じのカテゴリに入る感じだったのではないか?と推察してます、焼けた事により荒御魂モードが無くなってしまう、御手杵くんは闘志は失ってませんが空襲前はやはり荒御魂寄りの性格だったのではないか?と思います。

個人的に燭台切光忠も現在は和御魂モードだと思っていて、舞台刀剣乱舞の悲伝で彼は、僕は戦うよりも料理の方が向いてるんじゃないか?と葛藤して歌仙さんから窘められるんですけど、原作ゲームのボイスでも実戦向きでね!という自称はしてますが、燭台切光忠って優しいじゃないですか、彼も被災刀剣なんですよね。

つまりは刀剣男士にも荒御魂(好戦的な性格)と和御魂(穏やかな性格)の部分があるけど被災刀剣や物語の瑕疵がある刀剣はどちらかが欠けてるんじゃないかという考察です。

前置きが長いよというコメントをお待ちしてます。

この瑕疵のせいで片一方になったんじゃないかって筆頭が個人的に一文字則宗なんですよね。

図録の絵に入れ墨をした一文字則宗が居るんですけど、この則宗は全ての則宗の意識集合体(同田貫正国と構造は同じ)で一文字推し審神者によれば山鳥毛さんは似た赤いあざが興奮すると出るみたいなので、この入れ墨が現在の一文字則宗には存在せず、一文字一家との回想だとみんな「いきなり組長帰ってきた!?」みたいなノリを考え、彼が自称隠居であるのは「則宗も一度は刀としては壊れた」からで、彼は現在好好爺なので荒御魂を破損してるだと思います。

だから、山鳥毛にそのまま長の座を預けてるのでしょう。

同じ様に考えると、古備前派としてのアイデンティティに葛藤する鶯丸は膨れという刀特有の死の病に掛かり、そこから奇跡的に復活しています。

あとは私の推し鶴丸国永もですが、彼は「物語に見合う器はあるが、器に見合う魂(物語)が曖昧」という状況であるので、墓に入れられて暴かれたという物語を噛ませることにより、宗三左文字とか燭台切光忠みたいな運用をされているのではないか?とも考えています。

そのせいなのか知らないですが鶴丸国永は生きたまま死んでいる(肉体は生きているが、それに足りうるアイデンティティが枯渇している)状況になってしまい、生と死などの境界を認知する力に長けてしまったのだと考えています。